2015.01.01
新年あけましておめでとうございます。毎度、格別のお引き立てを賜り誠にありがとうございます。
さて、維新三傑、西郷隆盛。大久保利通。そして今回は、桂小五郎こと木戸孝允でございます。幼少よりその俊英ぶりは、藩主にも聞こえ、また、江戸三大道場練兵館においても免許皆伝を得た剣豪としても知られております。京において倒幕ののろしを上げ大いなる活動の最中、三本木の芸妓、幾松との逸話はこれもまた多く知られております。政局は変節し朝敵となり追われる身となった彼を支え、逃がしたのは、維新後、晴れて妻となる幾松でございます。その後 木戸孝允と変名。明治新政府においてまさに鬼怒のごとく働きをいたします。「版籍奉還」「廃藩置県」「岩倉使節団の全権副使」等、そして夢半ば、明治10年、病に倒れ重篤の中、大久保利通の手を握り西南の役へと兵を挙げた西郷隆盛に「西郷、いいかげんにしないか」と両友を案じる言葉が最後であったと言われています。
私、四代目伏見屋市平を初め鷹取醤油社員一同は「堅忍不抜」を貫き社業に専念してまいります。
どうか、相変わりませずごひいきのほど何卒よろしくお願い申し上げます。
平成二十七年 一月 福寿草の花咲く頃
さて、維新三傑、西郷隆盛。大久保利通。そして今回は、桂小五郎こと木戸孝允でございます。幼少よりその俊英ぶりは、藩主にも聞こえ、また、江戸三大道場練兵館においても免許皆伝を得た剣豪としても知られております。京において倒幕ののろしを上げ大いなる活動の最中、三本木の芸妓、幾松との逸話はこれもまた多く知られております。政局は変節し朝敵となり追われる身となった彼を支え、逃がしたのは、維新後、晴れて妻となる幾松でございます。その後 木戸孝允と変名。明治新政府においてまさに鬼怒のごとく働きをいたします。「版籍奉還」「廃藩置県」「岩倉使節団の全権副使」等、そして夢半ば、明治10年、病に倒れ重篤の中、大久保利通の手を握り西南の役へと兵を挙げた西郷隆盛に「西郷、いいかげんにしないか」と両友を案じる言葉が最後であったと言われています。
私、四代目伏見屋市平を初め鷹取醤油社員一同は「堅忍不抜」を貫き社業に専念してまいります。
どうか、相変わりませずごひいきのほど何卒よろしくお願い申し上げます。
平成二十七年 一月 福寿草の花咲く頃